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高倉建夫

提供: チャージマン研!Wiki

高倉建夫(たかくら たてお)は、日本の元アニメーター。

当初は地元で公務員として働いていたが、20歳でアニメーターを志願し、退職して上京。アニメーターの落合道正[1]氏が設立した落合プロに入社して1年間落合氏からアニメーションの技術を学ぶ。

独立後はフリーのアニメーターとして「タイガーマスク」「アタックNo.1」「アパッチ野球軍[2]」「デビルマン」「赤き血のイレブン」「ルパン三世」等、数多くの名立たるアニメに作画監督・原画として参加し、同時に自身もアニメ作画スタジオ「タカ・プロダクション」を設立する。

1971年頃に前線から退き、以降は予算やスケジュールの厳しい作品のヘルプ・アニメーターとしての参加や新人・若手アニメーターの育成に力を注いだ[3]

この時、ヘルプ・アニメーターとしてナックの作品もいくつか手掛けていた事が、後に本人へのインタビューで判明した(具体的にどの作品に携わったのかは不明だが、「ダメおやじ」に参加した事は分かっている[4]。推測の域を出ないが、「チャージマン研!」の36話51話61話は氏が原画を手掛けたのではないかと言われている。)。しかし、西野社長と喧嘩別れしてしまい、以降は落合プロ時代の弟子である鈴木孝夫氏から仕事を請けていたという。

79年末で完全にアニメーターを引退し、現在は整体師を務めているとの事。

関連項目

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  • 鈴木孝夫-落合プロ時代の高倉氏の弟子。鈴木氏の絵は高倉氏の影響を強く受けているとの事。

外部リンク

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  1. 後の落合政宗
  2. 因みに高倉氏が作監を手掛けたエピソードの1つが、第4話「白昼のダイナマイト」である
  3. 著名な輩出アニメーターは丹内司氏、木下ゆうき氏等
  4. 「恐妻カウンセラー」のタイトルに「作画 高プロ」のクレジットが表示されている