西野聖市
西野 聖市(にしの せいいち)は、株式会社ナック(現:株式会社ICHI)の創設者で前代社長。旧名は「西野 清市」。
人物編集
虫プロダクション(旧虫プロ)文芸部門出身。
西野氏と同じく元虫プロメンバーで東映動画にも所属していた月岡貞夫氏、月岡氏の後輩である林静一氏、テレビアニメ「リボンの騎士」の制作に携わっていた小柳朔郎氏らと共に1967年9月25日に株式会社ナック(KnacK)を設立[1]。その後、「チャージマン研!」をはじめ、多くのナック作品に企画・製作・プロデューサーとして関わる。
後年「チャー研」がネットを中心に大きく注目されてからも、「チャー研の生みの親」として関連イベントへの出演やファンとの積極的な交流を中心とした活動を続けていた。ICHIがナック創立から50周年を迎えた2017年9月25日にはTwitterで氏自らファンへ感謝の言葉を添えたメッセージ動画が公開された[2]。
2018年9月25日に死去[3]。奇しくもこの日は、株式会社ナックが設立された日と同日だった。
チャーケニストの間では、「怪奇!宇宙植物園」に登場する生徒・西野くんに因んで「西野くん」の愛称で親しまれている。また、「ジュラルのにせ友情作戦」に登場するピッチャー・清市の名前も西野氏に由来していると思われる。
ICHI公式Twitterによれば犬好きだったらしく[4]、氏が携わったナック作品に犬のキャラクターが多く登場するのはその為ではないかと考えられている。
チャー研関連のインタビューや旧ホームページ上では「子供たちのために」という表現をよく用いており、その信念に基づきアニメ作りに臨んできたとされている[5]。
参加作品編集
年 | 作品名 | 肩書 |
---|---|---|
1972年 | 正義を愛する者 月光仮面 | 企画 |
1972年 | アストロガンガー | 企画 |
1974年 | チャージマン研! | 企画 |
1974年 | ダメおやじ | 企画 |
1975年 | ドン・チャック物語 | プロデューサー(第1期) 企画(第2期) |
1976年 | グロイザーX | プロデューサー |
1978年 | 星の王子さま プチ☆プランス | 企画 |
1980年 | スーキャット | 製作 |
1981年 | フリテンくん (劇場版) | 製作 |
1981年 | まんが水戸黄門 | 制作 |
1982年 | 一ッ星家のウルトラ婆さん | プロデューサー |
1986年 | Oh!ファミリー | 企画 |
1987年 | マンガ日本経済入門 | 企画 |
1988年 | 安部譲二かっとび青春記 渋谷ホンキィトンク | 企画 |
1989年 | 冒険してもいい頃 | 企画 |
1989年 | 桃太郎伝説 | 企画 |
1990年 | フリテンくん (OVA版) | 企画 |
1990年 | あさってDaNCE | 監修・企画 |
1990年 | ころがし涼太 | 企画 |
1991年 | おカマ白書 | 企画 |
1992年 | 続なにわ遊侠伝 | 企画 |
1993年 | 女郎 | 企画 |
1993年 | 横浜ばっくれ隊 | 企画 |
1994年 | 高校武闘伝 クローズ | 企画 |
1995年 | 修羅がゆく | 企画(第1作) 製作・企画(第2作以降) |
1996年 | てっぺん2 | 企画 |
1996年 | ヴィジョナリィ3 美少女ヴァンパイア伝説 | 総指揮 |
1996年 | リストラ代紋 史上最強の公務員 | 製作 |
1997年 | 新・ピイナッツ | 製作 |
1997年 | 極道三国志 | 製作 |
1998年 | ドリトル先生物語 | 製作・企画 |
1998年 | くノ一忍法帖 柳生外伝 | 企画 |
2000年 | 極道はクリスチャン 修羅の抗争 | 製作総指揮 |
2001年 | 修羅のみち | 製作(第1作) 製作・企画(第3・4・8・11・12作) 企画(第5作) |
2003年 | 新・極道三国志2 伊豆代理戦争勃発 | 製作・企画 |
2005年 | 必殺!バトルロード 妖剣女刺客 | 製作・企画 |
脚注編集
- ↑ 設立当初の代表取締役には月岡氏が、専務取締役には西野氏や林氏らが就任した。
- ↑ 公式ナックアニメのツイート
- ↑ 公式ナックアニメのツイート
- ↑ 公式ナックアニメのツイート
- ↑ [1]