田中英二

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田中 英二(たなか えいじ、1936年5月10日 - 1982年)は、日本の男性漫画家、アニメーター、キャラクターデザイナー。

概要[編集 | ソースを編集]

我等がヒーロー・泉研を始めとする「チャージマン研!」の登場人物や、数多くの「かわいそうなお友達の生みの親とも言える人物。

手塚治虫氏のアシスタントを経て、貸本漫画家として活躍した後、アニメーターに転身。虫プロダクション時代は「スーパータロム」のメインスタッフであった杉山卓氏と同じく、手塚氏の代表作品である「鉄腕アトム」に参加している。

1965年にアニメ制作会社タマ・プロダクションを設立。当時のタマプロがタツノコプロの下請けとして「紅三四郎」・「新造人間キャシャーン」・「タイムボカンシリーズ」[1]等の制作に携わっていた事もあり、チャー研の作画が当時のタツノコ風だったり、変装後の研がどことなくキャシャーンに似ているのは決して偶然ではないのである[2]

生前の田中氏はとても高い評価を受けていた実力派のアニメーターであった。 貸本時代には少女向け漫画を主に執筆していた事もあり[3]、美男(少年)・美女(少女)のキャラクターを得意としていたのは、泉兄や泉なぎさ先生、そして星くんを始めとする劇団ジュラル(一部を除く)ハニトラ工作員等を見れば分かるだろう?

ナックとの関わりも大変深く、チャー研以外にも「アストロガンガー」・「ドン・チャック物語」・「星の王子さま プチ☆プランス・「透明少年探偵アキラと、数多くの作品のキャラクターデザインと作画監督を担当している。

晩年は病魔に蝕まれながらも精力的に活動し、後進の育成にも熱心であったが、1982年にわずか47歳の若さで不帰の客となった。

2000年代後半以降にチャー研が脚光を浴び、それに伴い逝去してから20年以上が経ちほぼ無名に近い状態となっていた田中氏も再評価を受ける流れとなるが、既に田中氏が故人である事を知り、田中氏の新規イラストによる研達を見る事も彼自身の口からチャー研やナック諸作品の制作当時の状況を聴く事が出来ないのを悔やむチャーケニストも少なからず存在する。

そんな田中氏のミリキ的キャラクターの極致を堪能したい人は、田中氏のアニメーターとしての原点である「紅三四郎」と「ナックアニメ最高傑作」との呼び声が高い「星の王子さま プチ☆プランス」を視聴してみよー!

親族関係[編集 | ソースを編集]

タマ・プロダクション二代目社長の田中道哉氏と専属アニメーターの一人であった西城隆詞氏は田中氏の実弟であり、アイドルグループ℃-uteの元メンバーである萩原舞氏は大姪にあたる[4]。詳細はタマプロの項目を参照。

関連項目[編集 | ソースを編集]

外部リンク[編集 | ソースを編集]

脚注[編集 | ソースを編集]

  1. シリーズ第一作である「タイムボカン」の放送開始年はチャー研終了後の1975年。
  2. ただし、田中氏自身はキャシャーンの制作には直接参加はしていない。
  3. 当時は星城朗二(夢二)というペンネームを用いており、何気に「星」と縁があるんDA☆
  4. 一度は読んでみてほしい。老若男女の心に響くX'masストーリー絵本化計画!